2010年5月12日水曜日

ひなげし追記

昨日、「ひなげし」が「時計仕掛けのオレンジ」の女の子版と書きましたが、ちょっと簡単にまとめすぎてしまったので、補足を。
私の見た狭い範囲ですが、チェコの映画はイジイ・バルタなどを見てるいると、耽美的でアグレッシブな映像美術を展開しながらも、テーマは反戦などの社会的なメッセージが明快なものが多いように思います。「ひなげし」でも、若くて可愛い女の子が、ことあるごとに「お腹空いた」と言いながら、飽食と享楽の生活の果てに、クライマックスではフォーマルディナーの食卓のテーブルと料理を食い荒らし踏みにじります。しかし反省をしてそれを元に戻そうとして掃除を始め、これで片付いたと思ったところで結末は・・。
この作品は、発禁処分を受けた秘蔵のフィルムだったらしく、それが公開されるようになってからはそのファッションやサイケデリックな描写が取り立てて評価されているようです。しかし私の世代にとっては、そういうところは過去の反復されたイメージにすぎず、それを繰り返し見せられることに殊更興味はわきません。若い世代はともかく、それがビジネスになるからとブームをあおるなかに我々の世代がいるならば、その思惑を考えると気恥ずかしくなります。
それよりも、日々享楽のみを求め飽食に明け暮れる現代日本人の姿とダブるところが多々あるように思いました。三浦展氏が「下流社会」関連の著書で警鐘をならしている現代日本社会の構図にも、この映画に通底して流れる「危機感」のセンスと共通するものを感じます。
そういう意味では、とても現代にマッチする映画だと思いました。