しかし、そのような企画があがればとりあえずコミュニケーションは始まります。人形のことを大切に考えている関係者の方は、まずそれを喜ぶのです。
しかしほとんどの企画者や取材者は、自分が考えている「人形観」を確認しに来るだけのような気がします。創作人形=球体関節人形という情報しか持ち合わせていないメディアも最近はあるようですし、人形=ポップアートと呼びたい知識層も、私にはそう映ります。そういう仲介者を通してのコミュニケーションは、決して豊かなものに発展するとは思えません。
しかし入り口は「球体関節人形」や特定の人形への関心であっても、人形全体の話を丁寧に興味をもって聞いてくださる相手もいます。
NHKの「新日曜美術館」の担当ディレクターの方、「イノセンス」の押井守監督、「ウィークエンド・ジャパノロジー」に私が出演した折のピーター・バラカン氏、今年の3月に発行されたJAL機内誌『Skyward』のアメリカ人女性ジャーナリストなど、それぞれ漠然と「人形」というテーマを掲げ、切り口も決まっていたのですが、私の話から日本の人形の歴史と現状を見直し、それぞれのテーマに再アプローチされていました。それぞれの仕事のまとめ方にそれぞれのプロフェッショナリズムを見た思いでした。