本来のひとがたの意味では、英語のフィギュアという訳語があてはまります。ドールではない人形がフィギュアであり、たとえば今回出品のなかでは石塚公昭氏、岡田好永さんのような「人形」はその範疇に入ります。日本語カタカナの「フィギュア」のイメージとはほど遠いものですね。石塚氏は最近では文士をモデルにした人形が文学関連のイベントでビジュアルによく登場します。岡田さんはどんな素材も扱える人ですが、今回は日本の伝統的な素材である桐塑にキュビズム的なフォルム、東西のエスプリをひとつのフォルムに調和させたユニークな作風を提示しました。センスアップされた空間でひとつ、ぽつんとあったときに、存在感を発揮するような作品です。
今回は2004年の東京現代美術館での「球体関節人形展」に出品した作家のうち、5人が出品していたことも見所といえるでしょう。あの展示を企画した私からいうと、あれはあの時点までの日本の球体関節人形「過去」をリビューし、未来を模索する意図がありました。ですから、彼らの「現在」を見るのは興味深いものでした。伽井丹彌さんや秋山まほこさんにおいては、球体関節人形のスタイルがそれぞれの創作にとって必然的な要素であり、ご自身のカラーがはっきり出ています。前出した月光社や井桁裕子さんはトルソや球体関節人形を、コンセプトにおいて使い分けていますが、井桁さんは今回は陶のオブジェのトルソのシリーズ、よねやまりゅうはFRPの兎や豚にタトゥーの柄を描き込んだ神像のトルソを出品しました。井桁さんは来年個展を予定されていて、またどんな新作を提示してくるのか楽しみです。
この展示をみて、人が、ひとがた造形に求めるものや価値を改めて考えます。やはり球体関節人形は日本人の心性にあっているのか、MICANさんや因間りかさんの作品を見ているとその健在ぶりを思います。元来、球体関節人形は機能性もしくは量産を前提に考えられた造形で、その意味ではコマーシャリズムと深く関わりがあるのですが、この40年来日本の創作人形においては、日本人の人形に対する精神性と技術への探求心が球体関節人形と結びついて、欧米では見られないような展開を遂げたのです。