模倣したいくらい憧れる作家をリスペクトすればするほど、その人の作風をなぞって知名度をあげれば、かえって自分の価値を下げることになってしまうでしょう。かって胡粉仕上げの伝統的な技法で丁寧に人形を作る人が、一番尊敬する人形作家として天野可淡の名をあげたことがあります。可淡の真似をしようものなら自分がつぶれてしまう、、、そういうようなことを言っていたと思います。そういう感性ほど、真の表現者に求められるものだと思います。
もともと創作人形に限らず、表現された作品からは、模倣と商品価値の抽出が繰り返し行われているものだと思います。「球体関節人形展」の頃は、スーパードルフィー(SD)が日本のどの人形作家の特徴を抽出したものか、よく話題にあがっていました。球体関節人形の制作の仕上げだけを楽しめるSDのシステムは市場の支持を受け、爆発的に市場を拡大しアジア、欧米へと波及していくわけですが、それをさらに発展させたのは韓国の企業です。市場規模が大きくなるほど、安易でおいしい部分だけが抽出され、商品に反映されていきます。そういうことは、原初の表現に思い入れのある人間はプロデュースできないと思います。日本の人形作家やメディアは、私も含め、今にぎわっている海外のBJD(球体関節人形)市場にとって、さぞかしおいしい素材を提供し続けたことでしょう。
皮肉なことですが、これだけの状況と市場が整えば、ドールはポップアートの美術品に再利用される可能性がでてきたともいえます。