2009年5月9日土曜日

歴史は繰り返す

今回、海外の作家がきて、日本の人形作家との表現の違いが話題になりました。
日本の人形が表現が内面に向かう傾向があるのに対して、海外の作品はジオラマ的に情景を切り取って説明したりメッセージを込めたりする傾向があります。様式的には、関節人形と固定ポーズ人形の対比がそれらを象徴的に語っています。今回も、シルビア・ナテラーが、日本の作家と食事をしたときに、どうして日本の人形作家はあんなに関節にこだわるのか、ヨーロッパではケテ・クルーゼが人形改革運動を起こして、ボールジョイントから柔らかな素材でスムースな肌の表現に向かったのに、日本人は逆に見える、と言ってました。
ケテの運動は日本であまり取り上げられていない人形史の側面ですが、多くの感想で海外からも国内からもあがってきている表現の内外の方向性、東西の表現の対比、様式の可動性の有無については、DFJで何度も繰り返しとりあげた話題です。私も海外でプレゼンの機会がある度に、この点を繰り返して説明してきたつもりですが、百聞は一見に如かずというか、聞き流されていたのか、DFJ以外のメディアは何をやってたのじゃ、という感じでちと寂しい。あれらの記事がまだ浸透していないことを再認識。同じ問題提起が繰り返され、考え続けられているようなので、アラビクさんでDFJのバックナンバーを見てくださいねー、と言いたいです。
英語版も必要かな。
私としては次のステップに話を進めたいのですが、双六でフリダシに戻った印象です。でもフリダシにさえ立っていなかったわけですから、あれが東西の人形事情のミックスアップが東京を起点に本格的に始まる第一歩だったと思うと、ちょっとわくわくします。
そういうことを、世界創作人形展の展示を通して現実として受け止めました。