人形をテーマにしたアニメ作品「イノセンス」をお手伝いさせて以来、折に触れ押井守監督の作品を見させて頂いてます。昨日は舞台「鉄人28号」を見ました。押井監督が舞台演出にいつかは挑戦したいけど実現は難しそう、という話を御本人から聞いたことがあります。それが実現して、監督もさぞ喜ばれているだろうと思います。
舞台作品は押井カラーが色濃くでています。監督が好きな犬中心のストーリー展開においてはもちろんのことですが、アニメ作品でよく「難解」と指摘され睡眠波の発生源となっている70年代の学生運動の演説のような長い台詞回しは、70年代以降の新劇では珍しくないことなので、役者という肉体を通して自然の芝居の空間になじんでいました。舞台好きなファンが見る分には違和感を感じないと思います。とすると押井監督のアニメ作品というのは、日本の前衛演劇のメソッドに通じる要素がたくさんあったのだろうと推測することができます。
また監督の実写映画だと、アニメ作品のそれを応用しているからなのか、映像上の人物の動きの流れに、今ひとつぎこちなさを感じざるをえませんでした。(そういう意味では開き直って役者の動きを封じた「立喰師列伝」は正解だし、いろいろな意味で傑出した作品だと思います。自分がちょっと出演したから言うわけではなく、日本を代表するB級映画として評価されてもよいかと思います。)
舞台というものは、いったん走り出すと役者という生身の肉体がオーラを放ち、空間を支配します。今回の舞台では魅力的な俳優たちが存分に歌と演技を披露し、そのパワーに身を委ねられました。もちろん、押井作品に欠かせない川井憲次氏の音楽、舞台中央に添えられた巨大な鉄人の存在感は不可欠でした。特に、川井節ともいうべき流れるような重層なストリングスと、稼働していない状態の巨大な鉄人の虚ろさが絡み合って、どの押井監督に通底する独特なメランコリーがここでも確かに感じられました。
押井作品にしてはドラマ展開がはっきりわかり、歌と踊りあり、こんなサービスの行き届いた仕上がりは初めてなのではないでしょうか。
ひとつ欲をいえば、芝居は舞台と観客がつくるもの。一方的に情報を流す映像作品とは異なります。個人的にはもう少し気楽に、客席との距離の狭い芝居小屋でチープな感じで楽しみたかったかなあ、と思いました。