2009年9月30日水曜日

ポップアート? 3

しかし、そのような企画があがればとりあえずコミュニケーションは始まります。人形のことを大切に考えている関係者の方は、まずそれを喜ぶのです。
しかしほとんどの企画者や取材者は、自分が考えている「人形観」を確認しに来るだけのような気がします。創作人形=球体関節人形という情報しか持ち合わせていないメディアも最近はあるようですし、人形=ポップアートと呼びたい知識層も、私にはそう映ります。そういう仲介者を通してのコミュニケーションは、決して豊かなものに発展するとは思えません。
しかし入り口は「球体関節人形」や特定の人形への関心であっても、人形全体の話を丁寧に興味をもって聞いてくださる相手もいます。
NHKの「新日曜美術館」の担当ディレクターの方、「イノセンス」の押井守監督、「ウィークエンド・ジャパノロジー」に私が出演した折のピーター・バラカン氏、今年の3月に発行されたJAL機内誌『Skyward』のアメリカ人女性ジャーナリストなど、それぞれ漠然と「人形」というテーマを掲げ、切り口も決まっていたのですが、私の話から日本の人形の歴史と現状を見直し、それぞれのテーマに再アプローチされていました。それぞれの仕事のまとめ方にそれぞれのプロフェッショナリズムを見た思いでした。

2009年9月28日月曜日

ポップアート?  2

私は、創作人形をポップアートに見立てる傾向に違和感を覚えています。コマーシャリズムにおいて人形に関連する少女趣味を相対化し、アートの名の下に封じ込めてしまうアプローチは確かに可能です。確かにその文脈で制作される「作品」もあり、嫌いではないしそういうものを否定する気持ちもありません。
しかしその見立ては、何百年にもわたる工芸史を背景にした創作人形の存在を前提にしていません。ポップアートの文脈に浮上する人形もそれらとは無縁でないはずです。
それらすべて混沌とした状況が日本の創作人形の現状なので、その一局面だけをクローズアップしてこの国の人形を理解した気にさせようとするメディアの傾向に、反感を覚えるのです。メディアは、その影響力に対する責任を感じていません。人形は、ちょっと目先の変わった企画程度の通りがかりの感覚でとりあげられるのです。美術館においてもその傾向はあります。しかし、人形に関わる当事者にとっては、それだけで大関心事になってしまうのです。
情けないことですが、番組や雑誌が「人形特集」と打った企画がまかり通ってます。
人形には様々な様態や切り口があるのに、一回性の企画でそれを総括して紹介できると思ってしまう安易さがあるのです。だって、たとえば文化系の雑誌が「音楽特集」とか「陶芸特集」なんて打ったら、大枠すぎて何をやりたいかわからないでしょう?
「人形特集」の命を授かった取材者が、きちんとリサーチをしようとして私の話をヒアリングすると、決まってと言って良いほど頭を抱えこんでしまいます。

2009年9月27日日曜日

ポップアート?

土井典さんの展示会場にいたときに、一人の中年女性がふらっと会場に入ってきて、短時間で一通り見終わってから、「ポップアートなんですね」と話してました。「いえ、違いますよ」と、土井さんが即答してました。
このやりとりを聞きながら、土井さんの作品はポップアートでの文脈の解釈もありだと思っていたので、私はこの応答がちょっと意外でした。しかしその後で、文脈云々の前に土井さんは、この女性が短時間で鑑賞を済ませてポップアートとして決めつけた態度そのものに土井さんが『否(いな)』を表明したのかと考えました。

それは私も思い当たることがあります。数年前に現代美術系のイベントで創作人形についてのレクチャーをしたことがありますが、当時はちょうど球体関節人形ブーム再燃、少女人形ブーム到来の時期でした。
私は創作人形に対する認識が、そのような傾向一辺倒になることに危惧を覚えていたので、当日はその話をずいぶんしました。すると主催者は、創作人形をメディアがポップアートとしてみようとしていることに対して、そんなに目くじら立てなくても、というコメントをしていました。
うーん、私は目くじらたてていたんですね。そうかもしれないです。

2009年9月17日木曜日

土井典さん 個展開催中

銀座のスパンアートギャラリーで、土井典さんが3年ぶりの個展「不確実な少女達」を開催しています。2004年の東京都現代美術館での「球体関節人形展」に出品した作品もありました。私は「音楽会に」と題された赤い髪の作品が好きです。3〜4等身にデフォルメされた山積み状態の少女達も面白いと思いました。
種村季弘、寺山修司や渋澤龍彦ら、錚々たる顔ぶれの原稿の展示もありました。土井さんは土方巽や寺山修司ら70年代の舞台美術に重要な貢献をし、四谷シモン氏のように当時のアングラ文化の中心となった文化人に支持された美術家ですが、その作品は日本の美術館に収蔵されていない現実があります。
国家予算で公立美術館に購入された人形作品を私の記憶の範囲で思い起こしただけでも、土井さんの人形作品がそこに加わっていないことは、きわめて不自然と思えます。
国家予算で購入された作品には、それなりの購入理由や根拠があったと思いますが、逆に考えれば、土井さんの作品が購入されていない現実に対する理由もあって然るべきです。
それは何でしょうか。もしくはもし、購入候補にも上っていない現実があるのだとしたら、それはそういう分野を対象とする美術館の研究の怠慢だと思います。
日本が西洋美術の概念を輸入してからの日本人の人形文化を直視し、その足跡を記録することで日本人のアイデンティティを浮上させることができます。そういう仕事にこそ、公の予算を担った機関は従事して頂きたいものだと思います。

2009年9月9日水曜日

ゲイル・ジマーの来日


Gail Enid Zimmer visited Jusaburo Museum

「ドール・フォーラム・ジャパン」をご購読の方はご存知の「ゲイルからの手紙」の筆者、ゲイル・ジマーが来日しています。私は彼女とは10年近く会っていませんでした。
韓国で開かれる国際工芸展を見る前に、5日間の予定で日本に立ち寄りました。そして来日の第一目的であった辻村寿三郎氏に会うために、ジュサブロー館を訪れました。ゲイルは1970年代に辻村氏がニューヨークで人形展を行ったとき、人形雑誌のためにインタビュー取材を行っています。もう30年以上の時を経ての再会となりました。辻村氏やミュージアムのスタッフにもあたたかい歓迎を受け、彼女にとって日本での良い思い出となったと思います。
ゲイルはそれから江戸東京博物館を見学しました。
秋葉原も通過したのですが、今の日本のトレンディな人形を見ることには興味を示しませんでした。そのかわりと言っては失礼ですが、江戸東京博物館の常設展は、きちんと見ると見応えのあるものでした。ジオラマの人形も、ひとつひとつがとてもよくできているので大変感心しました。名もない人形師の仕事を見た思いです。ご関心のある方は、時間をとってそれだけでも見に行かれるとおもしろいですよ。

2009年9月5日土曜日

ティッシュペーパードール


I made 'tissue paper dolls' during Dubai Doll Art Exhibition, made of tissue paper and used pet bottle.
It was inquired by a Canadian painter and I sold it at 'a glass of beer', and I have not been paid it yet. It can be a reason for me to visit Canada?

ちょっと前の話題ですが、ドバイのお土産話をひとつ。
会場で展示中、出品者は作品だけでなく、自身も何かしらプレゼンし続けなければなりませんでした。作家は制作の一部を披露しました。ドバイの人々は、とにかく誰かが手を動かしていると、本当に興味深く見入ってます。隣で子供向けに二等身のキャラクターっぽい人形を飴細工のようにどんどん作る西村Feliz氏は、会場の人気者でいつも人だかりができてました。
そこでコミュニケーションが生まれることは羨ましいと思いまして、私もあり合わせの材料で手を動かすことにしました。
あったのはボンドとティッシュペーパーと毎日飲んでいたミネラルウォーターの空きペットボトル。それに絵筆を買ってきて、ボンドを水で溶いて、ボトルにティッシュやその辺にあった屑のような紙(鼻をかんだような汚い紙はないですよ〜)をレイヤーのように張り始めました。張り子の型を作るときの逆のバージョンです。それが乾かないうちに、筆で圧力を加えて形を作り、最後に仕上げの衣装を着せました。美濃麻紙のような和紙もサンプルに持って行ったので、それも入ってます。
ドバイには郷土人形がないから、日本の文化でドバイを表現したドバイこけし、ドバイ雛と作ってやれ〜!と酔狂で始めて、できたのがこれです。目の前を行き交うイマラティ(現地人)をみながら作りました。
男は白、女は黒、衣装をすっぽりかぶった人たちなので私にも作りやすかったです。女性の衣装には、和紙を墨で塗ったものをかぶせました。
結構評判がよく、作り方をビデオで撮っていく人や、教えてほしいとか、これはいくら?などとも何度か聞かれました。「日本人はティッシュで人形を作る」と思い込んだ人もいたみたいで、これはちょっと汗(^_^;
搬出前にこの人形の処遇をどうしよう、と思っているところに、価格を聞いてきた男性がいたので、「私は作家じゃないし、これはあげる」と言って引き受けてもらいました。彼は対価を払いたい、というので、「じゃあ、ビール一杯」と答えました。そんなのお安い御用、ということで商談成立。
イスラム文化のドバイでビールにありつくのは大変。しかし出国直前の私は、それ以降彼に会うことはありませんでした。彼はカナダ人で絵描きさんだと言うので、目のある人に評価されたのが嬉しかったです。
誰かが引き取るなら、あそことあそこはもっとこうすべきだったと反省。作家の気持ちがちょっとわかります。
カナダにビール一杯のツケができました。いつかカナダに行く理由になるかな。

2009年9月2日水曜日

メールアドレス、データ紛失?

先日、メインで使っているPCがクラッシュしてしまいました。
現在、他機を使って現状建生直し中です。
ほとんどのデータは避難させましたが、ここ2ヶ月受信した以前のメールアドレスのデータについては復旧できない模様です。
これはかなりショックですが、今までの膨大な通信記録を整理するのに頭を抱えていた自分としては、心機一転しろということでもあると前向きに受け止め、今後の蓄積で粛々と、これからの自分のネットワークを再構築したいと思っています。
これを読まれた方は、私にメールをいただければ、すぐに登録します!
メールの宛先は: hazeki*nonc.jp
*を、@に変えてください。

今日の朝日新聞の朝刊をみていたら、ハワイの問題解決法「ホ・オポノポノ」を推奨するイハレアカラ・ヒューレン氏の本の紹介記事がありました。
「自分の人生でおきている以上は、誰にどんなことが起きようとすべては自分の内側の問題です。『ホ・オポノポノ』は、自分が認識する世界はすべて自分が創り出したものであり、100%自分の責任なのだ、ということを認めることから始めなければなりません」といい、問題の要因となっているものは、潜在意識に蓄積されている「過去の記憶(メモリー)」が再生されている状態なのだそうです。解決解決にはそのメモリーを消去(クリーニング)して、ゼロに戻すしかないそうです。そして実際には、自分のなかの潜在意識に「Thank you」「I am sorry」「Please forgive me」「I love you」を繰り返して語りかければよいそうです。
これは、先祖からのメモリが現在も蓄積されていると漠然と考えていた私には、とてもわかりやすいものでした(ちなみに私は特別な宗教組織には属していません)。先祖崇拝の信仰が残る文化同士で、通じるものがあるのでしょう。

まさに、PCに脳がつながってるのではないかと思えるほどPCに依存していた私にとって、今の状態をまさしく象徴するような言葉でした。消えたデータを追ってもむなしいものです。強制的にクリーニングされ、その状況を受け入れざるを得ないこの時に、私はとりあえず、この四つの言葉を自分に言って、次に進むとしましょう。

選挙が終わって

7月からお盆あけまでタイトに動いていたので、8月後半はスローペースで過ごしていました。
その間に衆議院選挙がありました。日本人にもアメリカのCHANGEへの意志が波及したように、民主党圧勝でした。
その直前に、私とNHKサービスセンターでパラミタミュージアムのギャラリーで水澄美恵子さんの展示を企画させていただいたのですが、実はこのパラミタミュージアムは、民主党の総裁候補だった岡田克也氏の父上が会長である岡田文化財団が運営するものです。それだけで選挙期間中もなんとなく、民主党がちょっと身近に感じられました。
ここ数年、経済不況のあおりで出版や展示企画などのメディアにおいては、’新しいことをせず、成功を約束された内容や方法を踏襲する’保守的な傾向が強くなりました。今回の変化がクリエイターたちに、やる気を再起させるものであってほしいと願います。
変化は、実現するでしょうか?
政治は政治で、自分はやる気でおります。
新しい政府にはスピードを期待したいものです。