2011年3月31日木曜日

イフンケさんから 2


レリーフ作品がついて、「一切衆生が幸せでありますように」のような言葉が入る予定です。(たぶんパーリ語?、ブッダの言葉)反則っぽいけどイイの。みんな幸せになれば。

で発展型が関節人形のウサギさんです。
ちょっとヨガっぽいポーズがとれるのと、お耳の動きで表情がけっこう変わるのがウリです。
お耳を頭上の真ん中で合わせるとハート型になるのも小さなチャームポイントです。
頭の上のちっこいのは化仏かな?なんか、よい感じなので。

お花に乗っかっている小さなウサギさんたちは、これも「月ヨガうさぎ」の発展型です。合掌のポーズ。通称「ナム南無うさぎ」「ナム花うさぎ」
花は蓮でなくてクリスマスローズ。北国の花です。全てに仏が宿るということ。雪どけとともに、凍りついても咲く生命力のこと。そして元来この花は二つとして同じ花がでない「世界に一つだけの花」なこと。があって蓮とは違うけれど聖なる花、として乗っかってもらってます。
このウサギさんたちは実は数を沢山作って展示のとき、祈りの花園になってもらうつもりです。

で、実は4月から5月はじめにかけてが七ヶ宿町でのクリスマスローズの開花期ですので、「春野月ヨガうさぎ」として展示したかったのでした。
自然と人形のコラボレーションです。
…こんなことになっちゃいましたけど…
ま、でも準備不足でしたから、まだだよ、という天の声なのかもしれません。

でも、なんとか少しでもやってたくて、「春野月ヨガうさぎ序奏」としてミニギャラリー的に出来ないかなぁと考えてました。
という訳で、もし、こんな作品でもできそうな場所あったらご紹介下さい。よろしくお願いいたします。

ちなみに七ヶ宿に戻ったら家の一部をギャラリー的にして、祈り(想い)と人形と自然のコラボレーションができたらなーと考えてます。目標。
近況、こんな感じです。作品が進展したらまた写真送ります。

----------------------------
以上です。写真作品はまだ制作途中です。
しかしその写真の人形や、美しい言葉、そしてユーモアに、逆に読んでいる私のほうが癒される思いでした。昨年から祈りの人形を制作されいたことに、偶然とはいえ、何かを思わずにはいられません。
イフンケさん、ありがとう。

2011年3月29日火曜日

イフンケさんから


イフンケさんから、長いお便りと写真を頂きました。
大変な状況のなか、無理にお願いしてしまったのですが、携帯電話しかない状況で写真撮影と、丁寧な解説を送って下さいましたので、2回に分けてご紹介させて頂きます。

------------

このカタチへの起爆剤となったコトの一つは、ヨーガの月のポーズ、なのかなぁ?
12(だったか?)のポーズが月の巡りのように、満ち引きのように姿を変えていくわけですが、私はそこに45億年間お空で生き物たちの営みを見守ってきた宇宙的祈り、意識のようなものを感じました。

人類史が始まってから何人となく花開いてきた、いわゆる聖人、聖者と呼ばれる方たちのおっしゃられるように、心に常に愛の無い人は潜在的に病なのかも知れません。
だとしたら、私たち現代人は皆、既に病んでいるのではないでしょうか?

けれど、そんな私たちを、気が遠くなるほど気長~に見守り続ける意志があります。果てしない程大きい、底抜けの大慈を感じます。
だから、きっと私たちは、みんなココロに常にある愛ある人格に近づけるんだと確信があるのです。(自分もまだだし、いつかは分からないけど)宇宙の園主は地上に沢山の花が開く時を何億年も見守ってきている気がします。

ずうっと抱きかかえていた思いを、本当に初心に戻った気持ちで人形を作りはじめましたのです。
で、そんな思いで人形作り再開してたら、震災。
作りかけの人形たちはひっくり返った戸棚の下でも、水没した車の中でも無事でした。
作り続けなってコトかな?と。私が地上のココロの花を咲かせるのに出来ることなんて、どんなもんだか分からないけど、ほんのちょっと微力でもみんなのココロの力になれるなら、そのことをやっていきたいなぁと思います。

なんか、地球の上が変わり目です。少しでも役に立てるとイイナ。と思っています。

2011年3月27日日曜日

NIADAから

このブログの報告と併行して、私は東京の状況や私の得た情報を海外関係者に連日発信しています。
NIADA(アメリカ人形作家協会)が、昨日ここに掲載したイフンケ(小松剛也氏)の状況について、コピーしてブログとフェイスブックで紹介してくれました。

http://www.facebook.com/pages/NIADA/81280204400
http://blog.niada.org/2011/03/personal-letter-from-japan/

なお、この英文は私が一回目の電話でイフンケに聞いて書いたものなので、救助を待つ状況など、日本語でここに紹介した内容と若干異なる点がありますことをご了承ください。

2011年3月26日土曜日

ihunke(小松剛也)さんの状況

1998年にドール・フォーラム・ジャパン(DFJ)が初めて行った「DFJ人形展」で、写真部門で大賞をとったihunke(イフンケ)さんをご記憶の方もいらっしゃると思います。こけしに球体関節をつけた「きぼこちゃん」は、鮮烈な印象で読者の記憶に残りました。遠野物語などに伝わる東北の精霊をキャラクターに、アニメ的な感覚の人形で、当時としては時代を先駆けるシリーズに取り組んでいました。
彼は宮城県の七ヶ宿という山奥の村に住んでいたので、今回の被害は免れたと思っていました。
まず、仙台に住む山野辺郁さんの安否を尋ねましたら、日常生活に不便はあるものの家もご自身も無事と伺ったあとで、お弟子さんだったイフンケさんは石巻に引っ越していて津波にあい、屋上に避難して救助されていたという話を聞いたのです。

連絡先を聞きまして、10年以上ぶりになりますが、お電話をしてみました。
するとびっくりされましたが、お元気そうな張りのある声で、喜んで頂けました。
今日もお話を伺ったので、経緯をまとめますと、イフンケさんが津波に襲われたときは50人くらいの方と一緒だったそうです。堤防を超えてきた水が、堤防があだになりたまってしまい、建物のなかに閉じ込められ、2日くらいすると病人が出て生命の危機を感じたそうです。そこで、隣にみえる自動車パーツ店の二階に避難しようと言って、助け合って水の中を移動、屋根の上で一日過ごして救助されたそうです。
小学校2年と4年のお子さんは、下校した直後で無事。その小学校も河口に近い川のそばだったので、下校していなかったら危なかったそうです。
今はご家族で妹さんのお宅に身を寄せられているそうです。
ご両親とお祖母さんは、残念ながら家もろとも波にさらわれ行方不明、連日安置所を巡り、お父様の遺体を見つけられたそうです。
津波もまるで映画みたい、安置所ももう何を見ているかわからない、と。今も、現実離れした現実を生きていらっしゃいます。

イフンケさんは、昨年まで人形制作を止めていたそうです。でも、半年くらい前にまた作りたくなり制作再開、また七ヶ宿に戻って再出発しようと思っていたら、この津波災害に遭われてしまいました。
幸い、作りかけの人形は無事だったそうで、今も持ち歩いているそうです。私は、作りかけでも写真を見たいし、完成させてください、とお願いしました。
何かできることはありませんか?と聞きましたら、物資などはいずれ満たされるだろう、でもそこでは体一つ残ってすべてを失ってしまった人が多く、生きようとしても生きる力がわいてこない、それが一番怖い、と・・・。
私の図々しい電話が、少し気持ちを切り替える助けになれたようです。
ぜひ、作家生活再開させてください!また、一緒に仕事しましょう!と言いましたら、元気に「よろしくお願いします!」とのお返事を頂きました。
海外から私に託された義援金がありますが、それは彼の再起を願って、彼に託そうと思っています。

2011年3月25日金曜日

矢部藤子さんからのメール

茨城県では、水戸市で3月15日から予定されていた「いばらき現代人形作家100人展」が、会場使用不可で中止されました。DFJに連載コラムを持っていた唐沢姫穂さんもメーリングリストで、住んでいる地域も激甚災害指定地区とのことで、その生活の様子や生まれ出る感情、不公平な計画停電への憤りを綴られてました。
 石岡市の矢部藤子さんから、3月19日に寄せられたメールを一部ご紹介させて頂きます。

「なんだか、あの日あの瞬間を境に世界が変わってしまったようで、いまだ呆然としています。9/11同時多発テロや、阪神淡路大震災の映像を見た時のように。
追い打ちをかけるように、原発事故。うちからは150km弱の距離ですが、もし最悪の事態になれば汚染地域のひとつになるでしょう。いまは覚悟と諦観の中で、淡々と事態を見守るしかありません。
茨城は震度6強の揺れでした。ちょうど外にいたのですが、ゴーゴーと大きな地響きをたてて地面が嵐の海面のように波立ち、自力で立っていることができなかったので、車の屋根につかまっていました。
あわてて帰宅すると、家の中は泥棒が入ったかのよう。でも思ったほどの被害ではありませんでした。
完成間近だった人形が床に落ちていましたが、なぜか拾って損傷を確かめたりする気になれず、しばらく放置していました。もう何もかもが終わってしまったような気がしたのかもしれません。
テレビではほとんど報道されませんが、茨城県も被害はかなり大きく、特に海沿いの町は悲惨な状態です。
もちろん東北地方の甚大な被害には比べようもありませんが・・・。
停電は昨日ほぼ全域で復旧されたようですが、断水は今も続く地域があります。道路は、高速がそろそろ通行止め解除、一般道はまだ通れない箇所があります。鉄道は、復旧のめどがたたないくらいの損傷です。
うちの最寄駅の石岡は駅舎も壊れて立ち入り禁止です。電気が復旧したあとも、しばらくは電話もネットもつながりにくく、離れ孤島にいるようでした。幸いにしてうちは地下水をくみ上げているので断水の影響はなく、暖房は薪ストーブ、ガスはプロパンなので、停電の時に少し不便した程度でした。
水道局の水道を引いている家は昨日まで断水だったので、近所の人にはうちを給水所として使ってもらっていました。地震の日から一度もお風呂に入れない人たもいます。でも考えれば、畑には野菜もあり、井戸があり、山に湧き水があり、近所の人たちは助け合う、田舎は災害に強いのかもしれませんね。本当に、町の人たちにたくさん助けられました。
そんな中で、ようやく少しづつ気持ちも晴れて、ぼちぼち日常を取り戻しつつあります。
地震後、茨城在住の関係者に連絡がつかず安否さえわからない状況が続きましたが、どうやらみなさんご無事のようですが、作品が破損した人も多いそうです。
今後の予定はまったく立っていません。
人形関係以外に、私も参加予定だったイベントが次々と中止になっています。6月開催のイベントまでが早々に中止を決定してしまい、なんだかどこもかしこも無力感に侵されている感じです。
この状況の中で自分にできることは何だろう?と考え、考えながら、ふとテレビを見ると東北の被災地の映像が流れて、また終末の予感にさいなまれるのです。
どんな状況だろうと、きっと自分にできることは「作ること」だけだと知っているはずなのに、ただいたずらにオロオロしているだけなのです。
いつか光が見えるでしょうか。
いまは予兆さえ見出せずにいます。」

このメールを受け取った日、私は地元のライブハウスで企画していたコンサートを決行しました。その時の私の「けったいな」写真をお送りしましたら、大笑いして頂けたようです・・・。

2011年3月24日木曜日

海外からの応援メール 6

チェルノブイリからの避難を経験したウクライナの作家からのメッセージです。
チェルノブイリのときは、息子は4才。情報は何も知らされず、24時間、どこに行くとも知らされず列車に乗せられたそうです。5ヶ月間、シェルターで見ず知らずの人と過ごしたそうです。
一番ひどかったことは、誰も何もわからないということ! だから日本の人の気持ちがとてもよく分かるそうです。

リナ・ヴェキカヤ(ウクライナ)
Lina Velikaya (Ukraine)

日本の友人達へ!

私は自分の思いをどう伝えて良いか分からないです。私のこの感情を!
チェルノブイリ事故を経験しているから、とてもよく分かるのです。
私は皆様のために祈り続けています!

この状況が収束してほしいです。日本人は勤勉だから、この自然大災害がもたらしたものを解決することができるでしょう。亡くなった方、また障害を負われた方に心からお見舞い申し上げます。
チェルノブイリの事故のときは、日本の人が助けてくれました。今度は私たちが日本の皆様を思い、皆様のために祈っています!
そして状況が改善されることを!

2011年3月20日日曜日

海外からの応援メール 5

フェレナ・アイシング(ドイツ)
Verena Eising(Germany)

私たちの心と思いは、常に日本の人々と共にあります。そして祈り続けています。
日本のことみnおこっていることは、とても悲しいことです。
私たちは今の福島原発の事故現場で働いている人々、この大惨事に日本人が忍耐と規律をもって対応していることに、心から敬意を表します。
どうか、人々が助け合い、支え合っている姿を知らせ続けてください。

---------

アレナ・ジレンキナ(ロシア)
Alena Zhirenkina(Russia)

私たちのすべてが、日本でおきていることにショックを受けています。いつもニュースを見ています。悲しみをもって、日本に住んでいる方のために祈り続けています。
皆様と救いのために、力がもたされることを。

----------
ゲイル・ラッキー(アメリカ)
Gail Lackey (USA)

皆様がどのような体験をされているのか、想像を絶します。テレビでは、すべての家族を失った人が映ります。本当に悲しくて、私はすべての人が強くあり、また必要な援助を得ることを祈っています。
私は赤十字社に寄付をしました。そのお金が誰かの助けになることを祈っています。
アメリカの薬局では放射能が来たときに備えて予防薬が売り切れてしまったと、ニュースが伝えています。
夜、私はあたたかなベッドで、寝る場所もない人々のことを考えると、そのような状態が早く過ぎ去ることを祈るばかりです。
皆様が無事であり続け、生活が早く日常に戻ることへの希望をもちながら、私の思いは皆様とともにあります。
祝福を。

---------------

エリナ・ガレラ(イタリア)
Elisa Gallea (Italy)

私の魂は日本の人々の気持ちとともにあります。
本当に、本当に大変なことです・・・
テレビやインターネットのニュースを見続けていますが、すべてがとにかくひどいです。
とにかく、進行している問題が収まり、「堤防」がいち早く再建されることを願っています。世界が日本でおこっていることを理解していると願います。

2011年3月19日土曜日

海外からの応援メール 4

エリザベス・フルーラー・トマミヒェル(スイス)
Elisabeth Flueler-Tomamichel(Switzerland)

私は今もあなたと共にいます。日本からのニュースを見続け、祈り続けています。
ドイツ玩具工業博物館のライドナー氏からもあたたかい思いと祈りが届けられてます。最新情報を見続けてますが、原子力発電所の事故の人々への影響をとても心配しています。なんてひどいことでしょう。
スイスには、日本への寄付を集める団体があり、救助犬を含む救援隊が派遣されました。今はそれだけが私たちにできることです。そして祈ること。
皆様を抱きしめ、いやしてさしあげたいです。

----------------

エレナ・リスナ(エカテリンブルク、ロシア)
Elena Lisina (Russia)

日本のことをとても心配してます。この大災害のニュースをみたとき、私は泣いてしまいました。海岸沿いの街がすべて破壊され、多くの人がすべてを失ってしまいました・・・
本当に心が傷みます。
全ての日本の方々が心を強く持ち、誰もが感じる恐怖に打ち勝つことを願っています。そのためには、まず生きて、互いを助け合わないと。
親戚や友人と引き離された方々は、とても心配されていることでしょう。再会されることを祈っております。
私の大好きな歌を捧げます(この方はKat-tunの大ファン)。
愛する人々は、常に心のなかにいます。
ロシアより愛をこめて。
http://www.youtube.com/watch?v=FhJNcYZDGuA

2011年3月18日金曜日

海外からの応援メール 3

パメラ・ビーズリィ(アメリカ)
Pamela Beasley (USA)

日本の皆様に、心からの祈りと寄付をおくります。
どうか日本に平穏を。
すべての日本の人に安全を。
すべての日本人の使命が果たされんことを。
永遠の愛とともに。

----------------

ネル・グロッテデ(オランダ)
Nel Groothedde (The Netherlands)

毎朝起きると、テレビのニュースをつけます。そして、日本の状況が少しでも改善されたニュースを聞きたいと思うのですが、まだとても恐ろしい状況です。
私は、あなた方や国民の方々に心からお見舞い申し上げます。いつ何時も、皆様のことを思っています。
このオランダだけでなく、誰もが今起こっていることを心配しています。
どこでも同じですが、人々というのは事実を知らされません。政府は自分の言いたいことを知らせているだけです。
でも、可能な限り、強くいてくださいね。

----------------

マーレン・フェアヘルスト(オランダ)
Marlaine Verhelst (The Netherlands)

オランダやヨーロッパの誰もが、日本の人々や今の状況をとても心配しています。現代の報道は、日本をとても近いものにしてくれています。
それだけでも、少しはいいことですね。
時が事態に変化をもたらし、またビールを一緒に飲める日を楽しみにしています。
皆様、どうぞご無事で。

2011年3月17日木曜日

海外から日本へのエール 2

パシャ・セトロバ(ロシア、サシャ・ペトロヴァ改名)
Pasha Setrova(Russia)

毎日、皆様すべてのご無事を祈っています。離れていても、あなた方の痛みが伝わってきます。いつも日本の皆様のことを思い、心配しています。いつでも力になりたいと思っています。

-------------

ゲルダ・S・ライスダイクと夫のグース(オランダ)
Gerda and Guus Schaarman (The Netherlands)

日本からのニュースが映し出す映像は心が痛みます…
日本の国と人々、特に家族や身内の方を亡くされた方々のことが心に残り続けます。そして、日本の方々がいかに困難に立ち向かい、耐えているかということに、深く敬意を表します。
オランダでもすぐにでも義援金が集められることでしょう。原子力発電所の事故も早く制御可能な状態になることを祈っています。
潜在的している危険と余震への不安のもとで暮らし続けることは、本当に大変なこととお察しいたします。

-------------

アーリン・フィッシュ・ナヴァロ(アメリカ)
Arlene FIsh Navarro (USA)

日本の友人へ、また会ったこともない多くの方々へ。
私と夫は日本が大好きです。だから今回のニュースはとてもショックで、自然がもたらした災害を悲しく思います。私たちは寄付を続け、全ての人のために祈り続けます。日本人の比類ないヒューマニズムと精神性、そして美しい文化を思い続けています。
今は、日本の誰もが互いに助け合い、想像を絶する惨事に打ち勝つことに集中していると思います。自力では力が足りない人、他の人を助けている人を、助けてあげてください。
私たちは、あなた方を愛し、尊敬しています。自分たちにできることは、祈りと寄付なので、それを行っています。もしできるがあるならば、飛行機に飛び乗って、日本で力になれることを実行したいです。
でも今は、そういう現場のために訓練された人々が活動し、情報が集められ、解決策が見つかると信じています。
心をこめて。
追伸 レプンクルさんやNoeさん、他の皆様も、どうぞご無事で。

2011年3月16日水曜日

海外から日本へのエール 1

海外の人形作家や関係者から日本の皆様にあたたかな応援メールが多数寄せられています。
今日から、それをご紹介していきます。

-----------------------
レナ&カツャ(ポポヴァ)と、パートナーのイゴルとミーシャ(在ウクライナ)
Lena, Igor, Katya & Misha (Ukuraine)

もう、テレビやあらゆる媒体からの情報に釘付けになってます。少しの情報も見逃さないようにしています。
私たちは、日本の皆さんが原子力発電所に感じていることがわかります。ウクライナは原子力発電所の問題がありました(チェルノブイリのこと)。でも今日では、日本はウクライナが過去に経験したよりも、制御をうまくできることでしょう。ですから、すべてうまくいくことを願っています。
日本の人は精神力が強いですから、きっと乗り越えていけるでしょう。
毎日手をあわせて、皆様のことを思っています。

----------

ティネ・カマービーク(オランダ)
Tine Kamerbeek (The Netherlands)

なんという悲劇があなたの国におこったのでしょう。あまりにも悲惨で言葉もありません。私は皆様やご家族、ご友人のご無事を祈っています。いつも皆様のことを思っています。このひどい災害がすべて終わることを祈っています。

2011年3月14日月曜日

大竹京さん、ご無事とのこと

先の記事も書きましたが、大竹さんがブログで無事を報告されました。
ですが、ここに書かれていますように、生徒さんで情報確認できない方がおられるとか。
心よりご無事をお祈り申し上げます。

http://l-pupe.com/archives/992

2011年3月13日日曜日

お見舞い申し上げます

東日本巨大地震で被災されている街や人々の状況が、次々と明らかになっていきます。
今も、東京でも揺れを感じる余震が続き、私も夜は、すぐに出られるように外出着のまま休んでいます。

幸い東京は今のところ、日常生活を維持できていますが、今も被災地で救助を求めて取り残されている方々、声も届かずにいる方々、助けたいのに動きにくい、たどり着けない状況を前に戦う救助の方々がいらっしゃいます。
その気持ちを思うと、本当に心が重く、胸が痛みます。
救助の状況が少しでも前進し、一人でも多く速やかに救助され、安心できる環境が確保されますよう、心からお祈り申し上げます。

私の元へも、海外から心配の声がたくさん寄せられています。世界中の方々が、「心を強くして、何とか乗り越えて」というメッセージを送ってきてくれています。
今の状況で、そのメッセージは被災の現場にいる方々には到底届けられないですが、とにかくそういう思いが届くように祈り続けたいと思います。

福島の原発の事故も大変気になります。
福島には、福島ドールアートを主催されている大竹京さんがいらっしゃいます。お電話をしましたが、通じないので、留守番電話にメッセージを残しました。
大竹さんや生徒の皆さんはほとんど、福島の方ですし、他にも福島には杉田明利さんやご家族、宮城には山野辺郁さん、他にも私の個人的な友人もいます。無事を祈るばかりですが、無事であっても不便な生活となっているでしょう。
また心の痛手もいかばかりのものか。

心からお見舞いを申し上げ、一日も早い状況の回復をお祈り申し上げます。

2011年3月12日土曜日

地震お見舞い

11日、午後3時に出かけようと思って支度をしていたら、ひどい揺れがありました。
尋常でない揺れに、予定はすべてキャンセルしました。
その後テレビをつけて、この東北・太平洋沿岸地震の規模を知り、ずっとニュースを注視しておりました。
私のところは震度5で揺れはひどかったものの、幸い棚の上の軽いものが落ちた程度で済みました。
しかし、家族や身内との連絡がとてもとりにくくなりました。結果、娘が都心から帰宅できなくなったことを除けば、非常事態には至りませんでした。車で娘を迎えに行こうかと思いましたが、誰も考えることは同じで大渋滞。娘は会社に留まることに決め、落ち着きました。
しかし、東北を中心として被害に遭われた方々の実情は、これから明らかになっていくでしょう。
国内外からもお見舞いのメールを頂きました。どうもありがとうございます。
東北や太平洋沿岸の方々の安否が気遣われます。
ご無事を心よりお祈りいたします。