2011年4月15日金曜日

近況

各地で統一地方選挙の時期となりました。
20数年来の友人が市議をやっているのですが、彼女に応援を頼まれ、選対をやる羽目に。
個人的な友人として、無所属で頑張っている彼女をみてきました。
私も人形や展覧会企画の仕事では、インディペンデントの立場なので、共感する部分があります。しかし選対はやったことがないので、その未経験ぶりを逆手にとって、取り組むことにしました。
名前だけをうるさく連呼する選挙カーは、かねがね無意味だと思っていたので、それは止めました。
しかし止めてみてはじめて、現行の公職選挙法ではあのやり方にならざるを得ないことを初めて知り、びっくりしました。そんな時代遅れのことばかり、という感じです。
私のところは、自転車と歩きのエコ宣伝。自転車に大きめのカウベルをつけて、歩いてます。この頃は、お豆腐屋さんに親近感を抱いてます。
辻立ち演説の前には、別の友人のリコーダー演奏の録音を1曲流してから始める、なんて感じです。
今回は、選挙カーを止める候補が一気に増えたようなので、自転車戦ですね。

そういうことで、ここしばらく忙しく、海外のメッセージの紹介など、遅れていて、メッセージを送って頂いた方に申し訳なく思っています。
寄せられたメッセージはすべて、追ってウェブサイトで閲覧できるようにする予定です。
それから、イフンケの東京展の企画も進めています。
ロシアでは、その企画を支援するチャリティー展が17日に開催されます。そのような模様も、ご紹介したいと思っています。

2011年3月31日木曜日

イフンケさんから 2


レリーフ作品がついて、「一切衆生が幸せでありますように」のような言葉が入る予定です。(たぶんパーリ語?、ブッダの言葉)反則っぽいけどイイの。みんな幸せになれば。

で発展型が関節人形のウサギさんです。
ちょっとヨガっぽいポーズがとれるのと、お耳の動きで表情がけっこう変わるのがウリです。
お耳を頭上の真ん中で合わせるとハート型になるのも小さなチャームポイントです。
頭の上のちっこいのは化仏かな?なんか、よい感じなので。

お花に乗っかっている小さなウサギさんたちは、これも「月ヨガうさぎ」の発展型です。合掌のポーズ。通称「ナム南無うさぎ」「ナム花うさぎ」
花は蓮でなくてクリスマスローズ。北国の花です。全てに仏が宿るということ。雪どけとともに、凍りついても咲く生命力のこと。そして元来この花は二つとして同じ花がでない「世界に一つだけの花」なこと。があって蓮とは違うけれど聖なる花、として乗っかってもらってます。
このウサギさんたちは実は数を沢山作って展示のとき、祈りの花園になってもらうつもりです。

で、実は4月から5月はじめにかけてが七ヶ宿町でのクリスマスローズの開花期ですので、「春野月ヨガうさぎ」として展示したかったのでした。
自然と人形のコラボレーションです。
…こんなことになっちゃいましたけど…
ま、でも準備不足でしたから、まだだよ、という天の声なのかもしれません。

でも、なんとか少しでもやってたくて、「春野月ヨガうさぎ序奏」としてミニギャラリー的に出来ないかなぁと考えてました。
という訳で、もし、こんな作品でもできそうな場所あったらご紹介下さい。よろしくお願いいたします。

ちなみに七ヶ宿に戻ったら家の一部をギャラリー的にして、祈り(想い)と人形と自然のコラボレーションができたらなーと考えてます。目標。
近況、こんな感じです。作品が進展したらまた写真送ります。

----------------------------
以上です。写真作品はまだ制作途中です。
しかしその写真の人形や、美しい言葉、そしてユーモアに、逆に読んでいる私のほうが癒される思いでした。昨年から祈りの人形を制作されいたことに、偶然とはいえ、何かを思わずにはいられません。
イフンケさん、ありがとう。

2011年3月29日火曜日

イフンケさんから


イフンケさんから、長いお便りと写真を頂きました。
大変な状況のなか、無理にお願いしてしまったのですが、携帯電話しかない状況で写真撮影と、丁寧な解説を送って下さいましたので、2回に分けてご紹介させて頂きます。

------------

このカタチへの起爆剤となったコトの一つは、ヨーガの月のポーズ、なのかなぁ?
12(だったか?)のポーズが月の巡りのように、満ち引きのように姿を変えていくわけですが、私はそこに45億年間お空で生き物たちの営みを見守ってきた宇宙的祈り、意識のようなものを感じました。

人類史が始まってから何人となく花開いてきた、いわゆる聖人、聖者と呼ばれる方たちのおっしゃられるように、心に常に愛の無い人は潜在的に病なのかも知れません。
だとしたら、私たち現代人は皆、既に病んでいるのではないでしょうか?

けれど、そんな私たちを、気が遠くなるほど気長~に見守り続ける意志があります。果てしない程大きい、底抜けの大慈を感じます。
だから、きっと私たちは、みんなココロに常にある愛ある人格に近づけるんだと確信があるのです。(自分もまだだし、いつかは分からないけど)宇宙の園主は地上に沢山の花が開く時を何億年も見守ってきている気がします。

ずうっと抱きかかえていた思いを、本当に初心に戻った気持ちで人形を作りはじめましたのです。
で、そんな思いで人形作り再開してたら、震災。
作りかけの人形たちはひっくり返った戸棚の下でも、水没した車の中でも無事でした。
作り続けなってコトかな?と。私が地上のココロの花を咲かせるのに出来ることなんて、どんなもんだか分からないけど、ほんのちょっと微力でもみんなのココロの力になれるなら、そのことをやっていきたいなぁと思います。

なんか、地球の上が変わり目です。少しでも役に立てるとイイナ。と思っています。

2011年3月27日日曜日

NIADAから

このブログの報告と併行して、私は東京の状況や私の得た情報を海外関係者に連日発信しています。
NIADA(アメリカ人形作家協会)が、昨日ここに掲載したイフンケ(小松剛也氏)の状況について、コピーしてブログとフェイスブックで紹介してくれました。

http://www.facebook.com/pages/NIADA/81280204400
http://blog.niada.org/2011/03/personal-letter-from-japan/

なお、この英文は私が一回目の電話でイフンケに聞いて書いたものなので、救助を待つ状況など、日本語でここに紹介した内容と若干異なる点がありますことをご了承ください。

2011年3月26日土曜日

ihunke(小松剛也)さんの状況

1998年にドール・フォーラム・ジャパン(DFJ)が初めて行った「DFJ人形展」で、写真部門で大賞をとったihunke(イフンケ)さんをご記憶の方もいらっしゃると思います。こけしに球体関節をつけた「きぼこちゃん」は、鮮烈な印象で読者の記憶に残りました。遠野物語などに伝わる東北の精霊をキャラクターに、アニメ的な感覚の人形で、当時としては時代を先駆けるシリーズに取り組んでいました。
彼は宮城県の七ヶ宿という山奥の村に住んでいたので、今回の被害は免れたと思っていました。
まず、仙台に住む山野辺郁さんの安否を尋ねましたら、日常生活に不便はあるものの家もご自身も無事と伺ったあとで、お弟子さんだったイフンケさんは石巻に引っ越していて津波にあい、屋上に避難して救助されていたという話を聞いたのです。

連絡先を聞きまして、10年以上ぶりになりますが、お電話をしてみました。
するとびっくりされましたが、お元気そうな張りのある声で、喜んで頂けました。
今日もお話を伺ったので、経緯をまとめますと、イフンケさんが津波に襲われたときは50人くらいの方と一緒だったそうです。堤防を超えてきた水が、堤防があだになりたまってしまい、建物のなかに閉じ込められ、2日くらいすると病人が出て生命の危機を感じたそうです。そこで、隣にみえる自動車パーツ店の二階に避難しようと言って、助け合って水の中を移動、屋根の上で一日過ごして救助されたそうです。
小学校2年と4年のお子さんは、下校した直後で無事。その小学校も河口に近い川のそばだったので、下校していなかったら危なかったそうです。
今はご家族で妹さんのお宅に身を寄せられているそうです。
ご両親とお祖母さんは、残念ながら家もろとも波にさらわれ行方不明、連日安置所を巡り、お父様の遺体を見つけられたそうです。
津波もまるで映画みたい、安置所ももう何を見ているかわからない、と。今も、現実離れした現実を生きていらっしゃいます。

イフンケさんは、昨年まで人形制作を止めていたそうです。でも、半年くらい前にまた作りたくなり制作再開、また七ヶ宿に戻って再出発しようと思っていたら、この津波災害に遭われてしまいました。
幸い、作りかけの人形は無事だったそうで、今も持ち歩いているそうです。私は、作りかけでも写真を見たいし、完成させてください、とお願いしました。
何かできることはありませんか?と聞きましたら、物資などはいずれ満たされるだろう、でもそこでは体一つ残ってすべてを失ってしまった人が多く、生きようとしても生きる力がわいてこない、それが一番怖い、と・・・。
私の図々しい電話が、少し気持ちを切り替える助けになれたようです。
ぜひ、作家生活再開させてください!また、一緒に仕事しましょう!と言いましたら、元気に「よろしくお願いします!」とのお返事を頂きました。
海外から私に託された義援金がありますが、それは彼の再起を願って、彼に託そうと思っています。

2011年3月25日金曜日

矢部藤子さんからのメール

茨城県では、水戸市で3月15日から予定されていた「いばらき現代人形作家100人展」が、会場使用不可で中止されました。DFJに連載コラムを持っていた唐沢姫穂さんもメーリングリストで、住んでいる地域も激甚災害指定地区とのことで、その生活の様子や生まれ出る感情、不公平な計画停電への憤りを綴られてました。
 石岡市の矢部藤子さんから、3月19日に寄せられたメールを一部ご紹介させて頂きます。

「なんだか、あの日あの瞬間を境に世界が変わってしまったようで、いまだ呆然としています。9/11同時多発テロや、阪神淡路大震災の映像を見た時のように。
追い打ちをかけるように、原発事故。うちからは150km弱の距離ですが、もし最悪の事態になれば汚染地域のひとつになるでしょう。いまは覚悟と諦観の中で、淡々と事態を見守るしかありません。
茨城は震度6強の揺れでした。ちょうど外にいたのですが、ゴーゴーと大きな地響きをたてて地面が嵐の海面のように波立ち、自力で立っていることができなかったので、車の屋根につかまっていました。
あわてて帰宅すると、家の中は泥棒が入ったかのよう。でも思ったほどの被害ではありませんでした。
完成間近だった人形が床に落ちていましたが、なぜか拾って損傷を確かめたりする気になれず、しばらく放置していました。もう何もかもが終わってしまったような気がしたのかもしれません。
テレビではほとんど報道されませんが、茨城県も被害はかなり大きく、特に海沿いの町は悲惨な状態です。
もちろん東北地方の甚大な被害には比べようもありませんが・・・。
停電は昨日ほぼ全域で復旧されたようですが、断水は今も続く地域があります。道路は、高速がそろそろ通行止め解除、一般道はまだ通れない箇所があります。鉄道は、復旧のめどがたたないくらいの損傷です。
うちの最寄駅の石岡は駅舎も壊れて立ち入り禁止です。電気が復旧したあとも、しばらくは電話もネットもつながりにくく、離れ孤島にいるようでした。幸いにしてうちは地下水をくみ上げているので断水の影響はなく、暖房は薪ストーブ、ガスはプロパンなので、停電の時に少し不便した程度でした。
水道局の水道を引いている家は昨日まで断水だったので、近所の人にはうちを給水所として使ってもらっていました。地震の日から一度もお風呂に入れない人たもいます。でも考えれば、畑には野菜もあり、井戸があり、山に湧き水があり、近所の人たちは助け合う、田舎は災害に強いのかもしれませんね。本当に、町の人たちにたくさん助けられました。
そんな中で、ようやく少しづつ気持ちも晴れて、ぼちぼち日常を取り戻しつつあります。
地震後、茨城在住の関係者に連絡がつかず安否さえわからない状況が続きましたが、どうやらみなさんご無事のようですが、作品が破損した人も多いそうです。
今後の予定はまったく立っていません。
人形関係以外に、私も参加予定だったイベントが次々と中止になっています。6月開催のイベントまでが早々に中止を決定してしまい、なんだかどこもかしこも無力感に侵されている感じです。
この状況の中で自分にできることは何だろう?と考え、考えながら、ふとテレビを見ると東北の被災地の映像が流れて、また終末の予感にさいなまれるのです。
どんな状況だろうと、きっと自分にできることは「作ること」だけだと知っているはずなのに、ただいたずらにオロオロしているだけなのです。
いつか光が見えるでしょうか。
いまは予兆さえ見出せずにいます。」

このメールを受け取った日、私は地元のライブハウスで企画していたコンサートを決行しました。その時の私の「けったいな」写真をお送りしましたら、大笑いして頂けたようです・・・。

2011年3月24日木曜日

海外からの応援メール 6

チェルノブイリからの避難を経験したウクライナの作家からのメッセージです。
チェルノブイリのときは、息子は4才。情報は何も知らされず、24時間、どこに行くとも知らされず列車に乗せられたそうです。5ヶ月間、シェルターで見ず知らずの人と過ごしたそうです。
一番ひどかったことは、誰も何もわからないということ! だから日本の人の気持ちがとてもよく分かるそうです。

リナ・ヴェキカヤ(ウクライナ)
Lina Velikaya (Ukraine)

日本の友人達へ!

私は自分の思いをどう伝えて良いか分からないです。私のこの感情を!
チェルノブイリ事故を経験しているから、とてもよく分かるのです。
私は皆様のために祈り続けています!

この状況が収束してほしいです。日本人は勤勉だから、この自然大災害がもたらしたものを解決することができるでしょう。亡くなった方、また障害を負われた方に心からお見舞い申し上げます。
チェルノブイリの事故のときは、日本の人が助けてくれました。今度は私たちが日本の皆様を思い、皆様のために祈っています!
そして状況が改善されることを!

ノンクプラッツ 9月にオープン

ノンクプラッツ とは、2002年から2007年まで東京都府中市にあった『DOLL FORUM JAPAN』の編集事務所とギャラリーの名前です。 『DOLL FORUM JAPAN』の終刊にともない、ギャラリーも閉廊しました。 マイペースで作家が展示をし、ファンも集うよりどこ...