2011年3月25日金曜日

矢部藤子さんからのメール

茨城県では、水戸市で3月15日から予定されていた「いばらき現代人形作家100人展」が、会場使用不可で中止されました。DFJに連載コラムを持っていた唐沢姫穂さんもメーリングリストで、住んでいる地域も激甚災害指定地区とのことで、その生活の様子や生まれ出る感情、不公平な計画停電への憤りを綴られてました。
 石岡市の矢部藤子さんから、3月19日に寄せられたメールを一部ご紹介させて頂きます。

「なんだか、あの日あの瞬間を境に世界が変わってしまったようで、いまだ呆然としています。9/11同時多発テロや、阪神淡路大震災の映像を見た時のように。
追い打ちをかけるように、原発事故。うちからは150km弱の距離ですが、もし最悪の事態になれば汚染地域のひとつになるでしょう。いまは覚悟と諦観の中で、淡々と事態を見守るしかありません。
茨城は震度6強の揺れでした。ちょうど外にいたのですが、ゴーゴーと大きな地響きをたてて地面が嵐の海面のように波立ち、自力で立っていることができなかったので、車の屋根につかまっていました。
あわてて帰宅すると、家の中は泥棒が入ったかのよう。でも思ったほどの被害ではありませんでした。
完成間近だった人形が床に落ちていましたが、なぜか拾って損傷を確かめたりする気になれず、しばらく放置していました。もう何もかもが終わってしまったような気がしたのかもしれません。
テレビではほとんど報道されませんが、茨城県も被害はかなり大きく、特に海沿いの町は悲惨な状態です。
もちろん東北地方の甚大な被害には比べようもありませんが・・・。
停電は昨日ほぼ全域で復旧されたようですが、断水は今も続く地域があります。道路は、高速がそろそろ通行止め解除、一般道はまだ通れない箇所があります。鉄道は、復旧のめどがたたないくらいの損傷です。
うちの最寄駅の石岡は駅舎も壊れて立ち入り禁止です。電気が復旧したあとも、しばらくは電話もネットもつながりにくく、離れ孤島にいるようでした。幸いにしてうちは地下水をくみ上げているので断水の影響はなく、暖房は薪ストーブ、ガスはプロパンなので、停電の時に少し不便した程度でした。
水道局の水道を引いている家は昨日まで断水だったので、近所の人にはうちを給水所として使ってもらっていました。地震の日から一度もお風呂に入れない人たもいます。でも考えれば、畑には野菜もあり、井戸があり、山に湧き水があり、近所の人たちは助け合う、田舎は災害に強いのかもしれませんね。本当に、町の人たちにたくさん助けられました。
そんな中で、ようやく少しづつ気持ちも晴れて、ぼちぼち日常を取り戻しつつあります。
地震後、茨城在住の関係者に連絡がつかず安否さえわからない状況が続きましたが、どうやらみなさんご無事のようですが、作品が破損した人も多いそうです。
今後の予定はまったく立っていません。
人形関係以外に、私も参加予定だったイベントが次々と中止になっています。6月開催のイベントまでが早々に中止を決定してしまい、なんだかどこもかしこも無力感に侵されている感じです。
この状況の中で自分にできることは何だろう?と考え、考えながら、ふとテレビを見ると東北の被災地の映像が流れて、また終末の予感にさいなまれるのです。
どんな状況だろうと、きっと自分にできることは「作ること」だけだと知っているはずなのに、ただいたずらにオロオロしているだけなのです。
いつか光が見えるでしょうか。
いまは予兆さえ見出せずにいます。」

このメールを受け取った日、私は地元のライブハウスで企画していたコンサートを決行しました。その時の私の「けったいな」写真をお送りしましたら、大笑いして頂けたようです・・・。