1998年にドール・フォーラム・ジャパン(DFJ)が初めて行った「DFJ人形展」で、写真部門で大賞をとったihunke(イフンケ)さんをご記憶の方もいらっしゃると思います。こけしに球体関節をつけた「きぼこちゃん」は、鮮烈な印象で読者の記憶に残りました。遠野物語などに伝わる東北の精霊をキャラクターに、アニメ的な感覚の人形で、当時としては時代を先駆けるシリーズに取り組んでいました。
彼は宮城県の七ヶ宿という山奥の村に住んでいたので、今回の被害は免れたと思っていました。
まず、仙台に住む山野辺郁さんの安否を尋ねましたら、日常生活に不便はあるものの家もご自身も無事と伺ったあとで、お弟子さんだったイフンケさんは石巻に引っ越していて津波にあい、屋上に避難して救助されていたという話を聞いたのです。
連絡先を聞きまして、10年以上ぶりになりますが、お電話をしてみました。
するとびっくりされましたが、お元気そうな張りのある声で、喜んで頂けました。
今日もお話を伺ったので、経緯をまとめますと、イフンケさんが津波に襲われたときは50人くらいの方と一緒だったそうです。堤防を超えてきた水が、堤防があだになりたまってしまい、建物のなかに閉じ込められ、2日くらいすると病人が出て生命の危機を感じたそうです。そこで、隣にみえる自動車パーツ店の二階に避難しようと言って、助け合って水の中を移動、屋根の上で一日過ごして救助されたそうです。
小学校2年と4年のお子さんは、下校した直後で無事。その小学校も河口に近い川のそばだったので、下校していなかったら危なかったそうです。
今はご家族で妹さんのお宅に身を寄せられているそうです。
ご両親とお祖母さんは、残念ながら家もろとも波にさらわれ行方不明、連日安置所を巡り、お父様の遺体を見つけられたそうです。
津波もまるで映画みたい、安置所ももう何を見ているかわからない、と。今も、現実離れした現実を生きていらっしゃいます。
イフンケさんは、昨年まで人形制作を止めていたそうです。でも、半年くらい前にまた作りたくなり制作再開、また七ヶ宿に戻って再出発しようと思っていたら、この津波災害に遭われてしまいました。
幸い、作りかけの人形は無事だったそうで、今も持ち歩いているそうです。私は、作りかけでも写真を見たいし、完成させてください、とお願いしました。
何かできることはありませんか?と聞きましたら、物資などはいずれ満たされるだろう、でもそこでは体一つ残ってすべてを失ってしまった人が多く、生きようとしても生きる力がわいてこない、それが一番怖い、と・・・。
私の図々しい電話が、少し気持ちを切り替える助けになれたようです。
ぜひ、作家生活再開させてください!また、一緒に仕事しましょう!と言いましたら、元気に「よろしくお願いします!」とのお返事を頂きました。
海外から私に託された義援金がありますが、それは彼の再起を願って、彼に託そうと思っています。